神社
知識
 
初午・稲荷神社
 初午(はつうま)とは一般的に、初午の日に行われるお祭りや風習をさします。
 初午ということばは、2月最初の「午(うま)の日」からきています。
 昔は日付を十二支 (子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥) に当てはめて数えていて、2月の最初にやってくる「午」の日が「初午」です。
 また、十二支が12日後に一周回るため、多い月だと3回ほど同じ十二支が巡ってくることになります。その場合、2回の午の日を「二の午」、3回目の午の日を「三の午」と呼ぶことがあります。
《初午祭の由来》
 和銅4年(711年)の2月初午の日に、稲荷山に祭神が舞い降りたことから伏見稲荷大社が創建され、以後祭神をお祀りする初午祭が行われるようになったと言われています。伏見稲荷大社
 創建当初は伏見稲荷大社の創建者と言われている秦伊呂具(はたのいろぐ)の氏神が祀られていたとされますが、旧暦の2月(新暦の3月)はちょうど稲作が始まる時期だったことから、五穀豊穣の神である宇迦の御霊(うかのみたま)がお祀りされるようになり、それが現在まで続いています。
 なお、現在は五穀豊穣以外にも、商売繁盛、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達などを祈願し、数多くの人が参拝に訪れていると言われています。
 なお、旧暦と新暦には1ヵ月ほどのズレがあり、旧暦の2月は現在の3月となるので初午祭を3月に行う神社も多くあります。
 3月は本格的な農作業が始まる前のため、その年の豊作を願って稲荷神社に参拝へ行く人も多かったようです。

《稲荷神社の起源》 (「山城国風土記」より)
 秦氏の一族は財力や技術力あり、なかでも秦伊侶具(はたのいろぐ)という人物は資産家であり、稲などの農作物や穀物を積み貯え非常に裕福な暮らしをしていました。
 そんな彼がある日、自分の裕福な生活に驕り、積んだ稲の上のお餅を的にして弓を射ったそうです。すると、弓が当たったそのお餅は白い鳥に変化して山の方へ飛んでいき、山の峰に降り立ち、そこに稲がなりました。
 秦伊呂具はこの鳥が降りて稲がなったところに社を立てて稲が成ったということで「伊奈利(いなり)」と社に名付けたということです。
 この峰は後に三ヶ峯と言われるようになり、時の天皇家から勅命を受けた秦伊呂具がそれぞれの山に3柱に神々を祀りました。
 この神々はそれぞれ「ウカノミタマノカミ」「サタヒコノカミ」「オオミヤノメノカミ」とされており、稲荷信仰における主祭神は穀物の神と言われる「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)」として現代でも京都の伏見稲荷大社を中心とした各地の稲荷信仰において祀られています。
 これが、京都伏見にある稲荷大社の最初の起こりであると言われており、現代でも我々の身近に数多く存在するいわゆる「お稲荷様」という稲荷信仰の起源だとされています。